支配者のカクテル ~ジントニック~
これを発祥地イギリスで飲むのが筆者のささやかな夢だ。ジントニックは日本で飲むのとイギリスで飲むのとでは味わいが違うらしい。というのもイギリスのトニックウォーターには「キニーネ」という薬品が入っている。この薬品で苦味を付けているのだが日本では法律上これを食品に添加できないのだ。
しかし、新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中で猛威を奮っている昨今、海外旅行は当分難しそうだ。非キニーネのジントニックを部屋でたしなむほかない。
かつてヨーロッパではペスト後にルネサンスが花開いた。そのためコロナ禍の今こそ時代の転換点だ、という論調をよく耳にする。実際にデジタル革命は加速しているように思える。そもそも人類は長い歴史のなかで常に病原菌と二人三脚で歩んできた。病原菌が歴史の方向を定めたことは何度もある。
例えば、大航海時代。16世紀初頭スペイン人が南北アメリカ大陸に侵入すると彼らはまず原住民に病原菌を移した。天然痘や麻疹、インフルエンザ、チフスなどである。これらの感染症がもとで死んだ先住民は、実際に侵略者の手にかかって死ぬよりもずっと多く、全人口の95パーセントにのぼる。先住民たちはこれらの病原菌に感染したことがなく抵抗力を持ち合わせていなかった。そのためスペイン人はアステカやインカ、マヤの帝国を簡単に滅亡させることができたのだ。(*1)
この場合、病原菌は侵略者に矛として与えられたが、反対に先住民に盾として与えられたケースもある。中央アフリカやその他の熱帯地域では、南北アメリカ大陸よりヨーロッパによる植民地化が400年も遅れた。これはマラリアが訪れたヨーロッパ人を苦しめ、殺したからである。(*6)マラリアは蚊を媒介に広がる珍しい感染症だが、ヨーロッパ人はこの感染症に抵抗力がなかった。反対に先住民は何世代もマラリアにさらされ抵抗力のある者だけが生き延びてきた。
しかし、19世紀も後半になるとヨーロッパはアフリカを分割しはじめ、ほとんど全土を支配下に置くようになる。1820年にマラリアの特効薬が開発されたからだ。この「キニーネ」と呼ばれる薬品の効果は絶大で有史以来、最も効果のある抗微生物薬といわれている(*9)が、ひどく苦いことでも有名だった。
当時のイギリス人はインドを植民地化しており、インドもまたマラリアの温床であった。イギリス人はマラリアを遠ざけるために、この苦いキニーネを定期的に飲まねばならなかった。なんとかうまく飲めないものかと考えた彼らはキニーネをトニックウォーターに入れ、さらにジンと混ぜ合わせ新しいカクテルを発明した。こうして生まれた「ジントニック」をイギリス人はがぶがぶ飲みながら約90年間もインドに君臨し続けたのだ。ジントニックのキニーネの苦味は世界史の苦味でもあるようだ。
【主に参考にした本】
【引用元】
*1:ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (Kindle の位置No.4509). 株式会社草思社. Kindle 版.
*6:ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (Kindle の位置No.4571). 株式会社草思社. Kindle 版.
*7:熱帯熱マラリア原虫|顕微鏡スライド標本の提供 | 長崎大学熱帯医学研究所 生物資源室(NBRC)
*10:India's exploitation under British rule - Sentinelassam
【追記】
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神々の武装解除 ~雷について~
アメリカの100ドル札でおなじみのベンジャミン・フランクリン。世界的なベストセラーとなったユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』にも、科学技術が人々の生活を豊かにした初期の好例として、彼の雷についての実験が紹介されている。
有名な例が雷だ。多くの文化では、稲妻は罪人を罰するために使われる、怒れる神の鉄槌だと信じられていた。一八世紀半ば、ベンジャミン・フランクリンは科学史でもとりわけ有名な実験を行った。雷雨のときに凧を揚げ、稲妻はただの電流に過ぎないという仮説を試したのだ。フランクリンはこのときの経験的観察結果と、電気エネルギーの特性についての知識を組み合わせ、避雷針を発明して神々の武装を解除することができた。(*2)
ハラリの言う通りギリシア神話のゼウス、ローマ神話のユピテル(ジュピター)、北欧神話のトール、ヒンドゥー教のインドラ、日本民間伝承の雷神など古今東西多くの神々が雷を使う。ユダヤ・キリスト・イスラム教の唯一神もまた雷を使い、ペシリテ人を恐れさせ、イスラエル人を救った。(*4)
フランクリンが避雷針を発明したのは1749年のことである。それ以降、我々は神々の鉄槌を恐れる必要がなくなった。ところでこの鉄槌はどのくらいのパワーを持っているのだろうか。2011年4月4日の東京電力電力供給量は3850万キロワット。これに対して雷のエネルギーは200億キロワットにもなる。(*10)
しかし我々は雷を蓄電していない。できないのだ。その理由は第一に電力があまりにも膨大すぎるためであり、第二に発生時間があまりに短すぎるためだという。(*11)。
ここで思い浮かぶのが超電導だ。超電導とは特定の金属や化合物を非常に低い温度へ冷却した時に、電気抵抗が急激に0になる現象のことを指す。物質を超電導状態のまま温度を室温程度まで上げることができれば超電導素材が完成する。これは材料科学の大いなる目標の一つだ。もしそうなれば我々が200億キロワットの「神々の鉄槌」を「神々の恩恵」として手に入れることも夢ではないかもしれない。
【引用元】
*2:河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ (著) 柴田裕之 (翻訳)『サピエンス全史(下)』p.77
*3:Benjamin Franklin and His Son, Divided by Independence | The New Republic
*4:旧約聖書:サムエル記上:7章:10節
*10:【Q&A】地震や雷で発電・蓄電できる? - Case#3.11 地震≫原発≫復興 科学コミュニケーターとみる東日本大震災
*11:6月26日は雷記念日!雷発電が普及しない理由とは?|不動産コラムサイト【いえらぶコラム】
【追記】
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車輪を知らない火星人~イーロン・マスクとH・G・ウェルズ~
2013年、テスラとスペースX社のCEOイーロン・マスクがハイパーループの構想を提唱し世間を驚かせた。ハイパーループは減圧された真空のトンネルの中を列車が走行するというアイデアで、実現すれば時速1000kmを超える超音速で人や物を輸送できる。
約5000年前、人類は車輪を発明し圧倒的に少ない労力で重たい荷物を遠くへ運べるようになった。
SFの巨匠H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』は人類よりはるかに高度なテクノロジーを持った火星人が地球を侵略しに来る物語だが、その中に、車輪についての面白い表現がある。
火星人が使う装置について、なによりも奇異に感じられるのは、人間が使うほぼすべての装置に 共通する特徴にかけている__すなわち、車輪が存在しないということだ。【中略】
火星人が車輪を知らなかった(これは信じがたい)にせよ、すでにその使用をやめたにせよ、その機械装置には、固定した軸によって回転運動をひとつの平面状に限定するという方法が使われていなかった。(*3)
ここでウェルズは人類の文明を、車輪を基礎とする機械文明である、と捉えている。車輪は人類にとって常に機械装置の要であり、無類のエネルギー変換装置だったのだ。しかしそのうえで、火星人は車輪を遠い過去の遺物として忘れ去ってしまっているのである。
どうやら今のところイーロン・マスクのハイパーループは車輪がなく、磁力で浮揚しながら走行するデザインになりそうだ。人類は遠い未来、車輪のことをすっかり忘れてしまうかもしれない。しかし、ハイパーループが注目されている所以はその驚異的な速度だけではないところが重要だ。空気抵抗と摩擦から解放されることでハイパーループは非常に低燃費であり、二酸化炭素もほとんど出さず、極めてエコロジカルなのだという。
人類はいつの日か「火星人」になる日が来るかもしれない。しかし、傍若無人なウェルズの火星人のようではなく、もっと節度のある「火星人」になれるかもしれない。
【引用元】
*1:Elon Musk: Six secrets to Billionaire Elon Musk business success - BBC News Pidgin
*3:宇宙戦争 (角川文庫) Kindle版 H・G・ウェルズ (著), 小田 麻紀 (訳) 位置2355
【追記】
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